『いつもの店にしましょう。迎えに来て』
岳は仕事を終えると、昨日は打ち合わせに出かけたため残した車に乗り、
駐車場から外へ出た。岳が今日の相手として選んだのは、
連絡を寄こした梨那ではなく、逸美になる。
逸美が書道教室を開いている場所近くに車を止め、携帯に連絡を入れる。
すると5分ほどで、パンツスーツに身を包んだ逸美が、目の前に現れた。
助手席の扉を開け、隣に座る。
岳はそれを確認するとすぐにサイドブレーキを解除し、街の中へ走り出した。
岳と同じ頃、仕事を終えた敦は、どこかに立ち寄ることもなく、
自分の車に乗り家に戻った。玄関に入り靴を脱ぐ。
扉を開けると、リビングから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「あはは……また負け。弱すぎだよ、あずさちゃん」
「あれ? おかしいな、今回はちゃんと計算していたはずなのに」
「考えすぎだってば」
妹の東子と、あずさがオセロゲームの最中だった。
敦は、東子の楽しそうな笑顔を見ながら、部屋に向かおうとする。
「あ、敦!」
東子は敦に気付くと、こっちへ来て欲しいと声を出し続けた。
あずさがあまりにもオセロが弱いのだと、白だらけになった盤を指差し、
必死に手招きをする。
「お帰りなさい」
「どうも」
敦は東子の押しに負け、リビングに入った。
東子は敦と勝負してみたらと、あずさに言う。
「またそういうことを言う。敦さん、東子ちゃんより強いでしょ。
絶対にそう思うもの。ダメ、ダメ、もうこれ以上、笑われたくないし」
あずさはそういうと、オセロを片付けようとする。
「待って、待って。ねぇ、それならハンデをつけるから。
ほら、4つの角は最初からあずさちゃんのものっていうのは、どう?」
東子はそういうと、敦にいいよねと声をかける。
「4つの角?」
あずさは、それならばどうにかなるかもしれないと、敦を見る。
「やりますか? いいですよ」
「はい」
東子を見届け人として、敦とあずさのゲームが始まった。
「飲まないの?」
「車で来ただろ」
「あ、そうね」
その頃、岳は逸美とよくいくレストランにいた。
ホテル内の店という、いつもの順番がそこにある。
「逸美は飲めばいいよ。送るから」
岳はそういうとメニューを渡す。
逸美は『いつもと変わらない』目の前の岳を見る。
「そうね、最後のディナーだと思うし」
逸美の言葉に、岳が視線をあげる。
「最後? 何、どういうこと」
「私、もうすぐ婚約するの」
逸美はそういうと、メニューからカクテルを選び、ウエイターを呼んだ。
「うーん」
あずさは自分の『黒』をにらみ、残り少ない置き場所を考えた。
4角を最初からもらうという、とてつもないハンデがあったにも関わらず、
見える景色は、ほぼ『白』に近い。あずさの指が、途中まで盤に向かい、
また迷うように戻っていく。
「これ、どこに置いても、次に敦さんの番が来たら返されますよね」
「だと思います」
敦はそういうと、手に持っていた石を指でくるっと回す。
「敦、容赦ないね。東京に出てきたばかりのあずさちゃんを、
こてんぱんにしようだなんて」
東子はそういうと、二人の間でほおづえをつく。
「おかしなことを言うな。東子がしつこく呼んだだろ」
「しつこく? まぁ、そうかな。でも、こてんぱんにしろとは言ってないもん」
「あぁ、もう降参です。敦さん強い」
あずさはそういうと、どこからおかしくなったのかなと、勝負を振り返ろうとする。
「4角をもらったことで、逆に守りに入ってしまったんですよ。
その角を生かさないとならないって」
敦はそういうと、オセロの箱に石を片付け始める。
「守るばかりだと、だんだん後ろに追いやられますからね」
敦はそういうと、席から立ち上がる。
「ありがとうございました。すみません、お仕事から戻ってばかりなのに」
「いえ」
あずさは残りの石を片付けながら、ちょこんと頭を下げる。
敦は鞄を持つと、リビングを出て行く。
「あずさちゃん、敦にこれだけ負けていたら、まず岳とは出来ないな」
「ん?」
「敦はね、途中で1度だけ待ってとか、
ここにはおかないでっていうのに応じてくれるけれど、岳は絶対にダメだもの。
容赦なしってところからすると、岳の右に出る人はいないから。
こてんぱんというより、再起不能にされるよ」
東子はそういうと、お風呂に入ろうとリビングから出て行った。
あずさは壁にかかった時計を見る。
昨日も日付が変わってから戻ってきた岳は、今日も遅いのだろうかとふと考えた。
ホテルの1室に、逸美の吐息が落ちた。
岳の慣れた指先の動きに、気持ちをかき乱されながらも、
負けっぱなしにはならないと、唇を重ねていく。
そのまま重なり合おうと、脚を動かす岳に、逸美は従わずに体を起こそうとする。
「おい……」
「言ったでしょ、最後なの。私に決めさせて」
「最後だなんて、俺は決めていないけれど」
岳はそういうと、一瞬力の抜けた逸美の体を自分自身で押さえ込んでいく。
『ずるい』と動きそうになる口元を唇でふさぎ、
それ以上、冷静に言葉を出せなくなる場所へと、連れて行く。
肌触りのいいシーツの上で、二人はそれぞれの思いを吐き出していく。
小さなライトに照らされた逸美の顔を、胸に押しつけるようにした岳は、
耳元に舌先を近づける。
逸美は降参するという合図を、岳に目で伝えると、さらにきつく抱き合った。
【4-5】
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