3.てのひらのひかり

2018年3月26日

 

 レトロな喫茶店にふさわしい装飾品のように、ずっと壁に貼ってあるままだった羊皮紙の地図がある。
 なんでも電子ですませるようになった時代からすれば、羊皮紙の地図なんて旧時代の遺産だ。価値のほどは知らないけれど、きっと安くはないだろう。
 今では伝統としてしか受け継がれていないだろう羊皮紙の地図の表面を、慎重に、店の調度品の埃を拭うときに使っているブラシで拭うように払っていく。傷つけないように慎重に。
 竜は僕の動きを目で追って、埃を払ったことで幾分か見やすくなった地図を見上げた。『ここです』そして、竜が細い尾で示したのは、現代の地図では平野になっている場所だった。
 僕は首を捻って自分の携帯端末で地図を確認した。
 やはり平野だ。町の外に大きいなんて感じる山はなかったはず。

「この地図、間違っていませんか?」

 僕が訊ねると、竜は首を傾げた。
 その動作は、つまり、僕が何を言っているのかわからない、ということだろうか。
 竜の動きをそう解釈した僕は、携帯端末に表示させた現代の地図を立体的したものを空間に投影し、端末をテーブルに置く。

「赤ピンを立てたところが地図のこの場所です。現代の地図だとここは山ではなくて平野ですよ」

 この地図がいつに描かれたものかはわからないけど、情報が古い気がする。
 この地図はあてにならないんじゃないか、と僕が説明すると、竜はさらに首を傾げた。不思議そうに空間に映し出された地図を見上げている。

『人には視えない山です。入口は、閉ざされている。地図に残っている方が珍しいのです』
「は? はぁ…」

 これには、うまいこと言葉が出てこなかった。
 人には視えない山。そんなものが本当にあるというのだろうか。
 僕は腑に落ちないながらも、目の前の竜がすでに不思議な存在であることを思い出し、それなら不思議な山だってきっとあるんだろう、と思うことで自分を納得させた。

 

 

 僕は思案した末に、店の入口にかけている『OPEN』の看板を裏返して『CLOSE』にした。
 どうせお客さんは来ないし、今日くらい営業しなくてもおじいちゃんも許してくれるだろう。
 いつも開けたままの扉を閉めて店内に戻ると、首を捻りながら小さな手でコツコツと僕の携帯端末をつついている金色の竜がいる。『ノア』「はい」『動きません』コツコツ、と画面を爪でつつきながらこちらを見上げる竜に僕はどういう顔をしたらよいのだろう。

「その機械は、タッチパネルといって、画面に直接触れることによって操作ができる仕組みになってるんです」
『たっちぱねる』

 竜がしげしげと携帯端末を眺めて掲げた。興味がある、という感じで。
 けれど、小さな手と短い腕には重かったのか、すぐに端末をテーブルに戻した。それでも端末の地図が気になるのか、爪でコツコツと画面に触れている。
 その様子は、なんだか幼い子供を思わせた。
 僕はどんな顔をすればいいのかわからないまま、テーブルの端末を回収してポケットに入れて、二階に向かった。
 僕の部屋(といってもおじいちゃんが使っていたのをそのまま使わせてもらっている)には自分のものはそうはなく、目当ての物を探すのもそう手間取らない。
 登山をするなら、装備がいる。
 せめて足元だけでもしっかりとしていかないと、素人には厳しいだろう。
 手元にある靴をクローゼットから出して確認してみると、スニーカーと、スーツのための革靴しかなかった。
 まいったな、と腕組みして考える。
 この町に靴屋なんてなかった気がするし…。動きやすい服装は、学生の頃使っていたウインドブレーカーが活用できるとして…。
 考え込んでいると、ふわり、と背後からやってきた竜が部屋の中へと飛んでいった。キョロキョロと瞳を動かして部屋を見回している。

『ここは、おじいさんの部屋ですか?』
「…そうですよ。今は僕が使わせてもらっています」
『なるほど。おじいさんは多趣味でした。色々なものがあって、ここはとても面白い』

 竜は書机の上に下りると、小さな手で用途のわからない歪な形の瓶のようなものを取り上げた。
 そういうオブジェなのだろうとしか思っていなかったガラスの瓶のようなものは、竜が口を寄せてフウと息を吐きかけると、文字通り、輝いた。 
 歪な形の瓶の中にはまばゆいばかりに光が満ちて、輝く水面を閉じ込めたような七色の煌めきを魅せる。
 その原理も、理屈も、仕掛けも、わからない。
 僕は言葉もなくその輝きを見つめた。
 小さな竜が両手で抱く輝きは、その金色と相まって、太陽のようだった。
 猫ほどの大きさしかない竜が、短い腕を伸ばして僕へとその光を差し出す。『ノア。手を出して』「…、」言われるままに手を伸ばすと、竜は瓶を僕の手に置いた。
 歪な形の瓶の、歪な光。それでもほんのりとあたたかく僕の手の中で煌めき続ける、光。
 その輝きを、尊い、と感じた。
 差し上げます、と言って光を見つめるその姿を、守らなくてはならない、と思った。
 もしもこの輝きが太陽であるならば、近づきすぎれば、その熱で僕は焼き尽くされるのだろう。
 そう予感しながらも、手を伸ばさずにはいられないあたたかさがあった。
 たとえこの光が僕を滅ぼすのだとしても。僕は、この光を懐に抱いて、果てるだろう。

「…実家に戻って、装備を整えてきます。登山のための靴とか、道具とか」

 僕はそうこぼして、光を両手で包んだ。
 蒼い瞳。冬の空のように澄んだ色が僕を見上げる。『ノア』「はい」『ありがとう』その言葉に、僕は破顔した。
 それはどちらかといえば僕の台詞だ。
 あなたがその言葉を口にするのは、僕があなたの願いを叶えられた、そのときでいい。

 

 


 

 

3話め! 気が向いたらまた書きにきます!

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